京都市上京区、鞍馬口駅から3分ほど歩くと、「こころしずめの社」とも呼ばれる御霊神社(上御霊神社)が鎮座しています。
正式名称は御霊神社ですが、京都御苑の南東角に鎮座する下御霊神社と区別するため、一般には上御霊神社と呼ばれています。
今回は、御霊神社(上御霊神社)の見どころをご紹介します。
あの「応仁の乱」の発端の場所とも伝わる神社ですよ!
御霊神社(上御霊神社)
御霊神社は、桓武天皇の勅願で平安京遷都の794年に、早世した桓武天皇の弟:早良親王の心を慰めるため創建されたと伝わっています。
御祭神は、政局で不幸な末路をたどった「崇道天皇(光仁天皇第二皇子 早良親王)」、「井上大皇后」、「他戸親王」、「藤原大夫人」、「橘大夫」、「文大夫」、「火雷神」、「吉備大臣」の八柱が祀られ、のちに明治天皇の御願によって三社明神(「小倉実起」、「小倉公連」、「中納言典待局(小倉実起の娘)」、「小倉季判」)と、和光明神「菅原和子」の祭神五柱が増祀されました。
皇族の信仰も篤く、社殿は宮中の賢所権殿を移築・復元したものです。
境内は「御霊の森」と呼ばれるように木々が深く生い茂り、参詣した松尾芭蕉も句を詠んでいます。
皇室の「産土神」としても知られ、地元の人からは「上御霊さん」と呼ばれ、親しまれています。
御霊神社(上御霊神社)の見どころ
楼門(西門)は、江戸時代中期・寛政年間に再建された建物です。
南門の写真を撮り忘れましたが、南門は「四脚門(しきゃくもん)」といい、伏見城の四脚門が移築されたと伝わっていて、立派な姿の門です。電車でアクセスした方は、西門から入るので南門のチェックをお忘れなく!
楼門をくぐると、まっすぐ延びる石畳
建立され往時は、広大な御霊の森が広がっていたと言われています。
本殿は、享保18年(1733年)に下賜された内裏賢所御殿、現在の建物は昭和45年(1970年)に復元されたものです。
絵馬堂は、宮中から下賜された木材で建立されています。
境内の橋に鎮座する福壽稲荷神社です。他にも摂社末社が祀られていますよ。
“応仁の乱”発端の地
1200年以上続く京都の歴史の中で転換期となった大きな事件のひとつ「応仁の乱」、御霊神社はその応仁の乱の発端となった合戦の舞台としても知られています。
応仁の乱は、応仁元年(1467年)に管領畠山・斯波の家督争いと、将軍足利義政の後継問題に端を発した戦乱です。
その戦いは、文明11年(1477年)までの11年間も続きました。
応仁元年(1467年)の正月18日戦いがおこった戦場地、御霊神社に応仁の乱勃発を示す石標が建てられています。
石に刻まれた文字は、応仁の乱の勃発から550年の2018年に、東軍大将細川勝元の末裔で第79代内閣総理大臣の細川護熙氏が筆をふるったのだそうです。
【御霊神社(上御霊神社)】アクセス基本情報
【御霊神社】基本情報
住所:京都府京都市上京区上御霊竪町495番地
電話:0754412260
授与所受付時間:午前9時~午後5時まで(季節により変更あり)
HP:http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/02/004/
アクセス:地下鉄烏丸線鞍馬口駅徒歩3分
京都の神社仏閣を巡り、その歴史を調べると、ほとんどの歴史的建物は応仁の乱の戦火によって消失して再建されています。
そんな京都を焼き尽くすほどの長きにわたった戦い応仁の乱の発端の地と聞くとなんとなく複雑ではありますが、現在の御霊神社は参拝者の心を静めてくださる「こころしずめの社」として親しまれています。
こころをしずめに参拝してみてはいかがでしょうか。