北野天満宮と言えば「梅」、
梅は天神さまのご利益があると言われ、境内で育った梅で作られた梅干し「大福梅(おおふくうめ)」は、お正月の縁起物として人気です。
今回は、北野天満宮の「大福梅(おおふくうめ)」をご紹介します。
大福梅の起源や手に入れる方法、どうやって食べるの?など、ご紹介します。
北野天満宮の大福梅(おおふくうめ)
北野天満宮の境内には、菅原道真がこよなく愛した「梅」が、50種1,500本植えられています。
新春に咲き「一年の始まり」を意味する梅は、昔から縁起の良いものとされてきました。
「大福梅(おおふくうめ)」は、この境内の梅の実を毎年収穫し、塩漬けした後、天日干しされ梅干しです。
大福梅ができるまで
境内で育った梅が、大福梅になるまでの過程をご紹介します。
梅の実がみのり、収穫されるのは毎年6月上旬から中旬頃にごろで、約1週間にわたって採取します。
その収穫量は例年約2トンもあるのだそうです!
採取した梅は塩漬けされます。
7月中旬~8月下旬になると、樽から取り出した梅を天日で干すのですが、これは大福梅の土用干しと呼ばれます。
大福梅の土用干しが始まったころに北野天満宮の参拝をすると、すのこの上にむしろを敷きその上に梅を並べた様子が見られます。
その様子は圧巻で、しかも境内に梅の甘酸っぱい良い香りが漂っていて、視覚にも臭覚にも刺激的です!
約4週間、カラカラになるまで干せたら、再び塩をまぶして樽で貯蔵され、11月下旬になると樽から取り出されます。
そして約6粒ずつ奉書紙で包まれた正月の縁起物「大福梅」となります。
北野天満宮の神職や巫女などが総出で作業し作られる大福梅は、例年3万袋が用意されます。
新年の縁起物“大福梅“
それではここで、
大福梅を手に入れる方法や大福梅の賞味期限、どうやっていただくのか?などをご紹介します。
大福梅の起源
大福梅は、村上天皇の天暦5年(951)疫病が流行していた当時、村上天皇が梅入りの茶を服用したところ、たちまち体の調子が良くなったという故事が起源と言われています。
このことから「王服と称し毎年元旦にこの茶を服し給い、萬民これを倣い年中の疫病邪気を除き長寿幸福を得るなり」といわれる縁起物となりました。
もともと「王服」と称していたものが「大福」と書くのは「王服」に吉字をあてたものなのだそうです。
大福梅の授与
大福梅は毎年、正月準備を始める事始め(12月13日)から授与されはじめます。
授与は無くなるまでとなっていますが、終い天神(12月25日)ごろまでのようなので欲しい方は早め参拝することをおススメします。
大福梅:700円(約6粒入)
授与:事始め(12月13日)8:30 ~ 無くなるまで
色々な縁起物がセットになった「ことはじめセット」もあり、大福梅(梅干し約6粒入り)、祝箸(5膳)、屠蘇一袋(2パック入り)、守護縄一つ、清め塩一つが入って一袋3,000円です。
この「ことはじめセット」も数量限定です。
また、6月中頃からホームページで申込書をダウンロードして、必要事項をご記入して現金書留でお申し込みもできます。
ちなみに、今回は12月23日に参拝させていただきました。
鳥居の横には初詣の大きな旗が風になびいていました。
絵馬も来年の干支の絵馬がかかっていて、年末年始ムードが高まっていました!
大福梅の食べ方は?
普通の梅干しと違って、大福梅はカラッカラまで干されていてクシュクシュです。
いったいのどうやって食べればいいのでしょうか?
大福梅は、お湯かお茶に入れて飲みます。
いつ飲むかというと、元日の朝、または元旦の祝膳の初茶として飲みます。
そうすることで、疫病邪気を払い長寿と幸福がもたらされると伝えられています。
カラッカラの大福梅をお湯に入れ、少し待つと梅干しの酸っぱい香りが漂いだします。
元旦の朝にお湯に入れて疫病邪気を払い長寿と幸福を願いながら大福梅をいただきましょう!