こんにちは。
【夫婦でお参り】のHOKI & MIYUです。
今日もポチポチと、神社仏閣に関わる情報をお届けします。
京都の人気観光スポット、金閣寺と銀閣寺をご紹介したので、続いて「銅閣寺」をご紹介しましょう。
銅閣寺と言われても、「えっ?そんなのあった?」と思う方が多いかもしれませんが、実は、銅閣寺も存在するのです。
今日は、見た目にもインパクトがある京都、銅閣寺をご紹介します。
銅閣寺とは
銅閣寺は、あまり知られてはいませんが、実は、八坂神社や高台寺など人気の観光スポットが多い京都東山にあります。
銅閣寺は誰が建てた?
金閣寺は足利義満が建てました。銀閣寺を建てたのは、義光の孫である足利義政です。
と、言うことは「銅閣寺も足利家の誰かが建てたのか?」と、思いますが、全く関係のない人物によって銅閣寺は建てられたのです。
現在銅閣寺がある場所は、大成建設や帝国ホテルの創始者である大倉喜八郎氏の別邸「真葛荘(まくずそう)」でした。
大倉喜八郎氏は、「金閣も銀閣もあるから、銅閣もつくって、ゆくゆくは一般に公開して京都の名物にしよう!」と、真葛荘の敷地内に「銅閣」を実際に建てたのです。
「金閣も銀閣もあるから銅閣もあっていいんじゃない?」と誰もが思うところですが、実際に建ててしまうとは、さすが一台で巨万の富を築いただけのことはありますよね。
銅閣寺は通称で、正式名称は大雲院と言います。
天正15年に織田信長と信忠親子の菩提を弔うために正親町天皇の勅命により建てられた寺院でした。
寺の名前は、織田信忠の戒名「大雲院殿三品羽林仙巌大居士」が由来となっています。
もともと大雲院は、御池御所(現在の烏丸二条)にありましたが、豊臣秀吉により寺町四条へと移転されました。そして昭和48年になってから現在の場所に移転されました。
大倉氏が、別荘の敷地内に銅閣を建てたのは昭和3年で、昭和48年に大雲院が移転してきたために、銅閣が寺の伽藍になったと言う、ちょっと不思議な流れではありますが、当初の大倉氏の目論見通りになったわけですね。
祇園閣(銅閣)
1928(昭和3)年に建てられた銅閣の正式名称は、祇園閣と言います。
伊藤忠太氏によって設計されました。伊藤氏は、本願寺や平安神宮などの設計も手掛けている昭和初期を代表する建築家です。
独特な形をしていますが、これは祇園祭の山鉾をモチーフにしているためです。
また、銅閣と呼ぶために屋根は銅板葺きになっています。
石川五右衛門・織田信長親子の墓
大雲院の墓所には、織田信長親子の墓もあります。
信長の墓は、京都ではほかにも、本能寺や阿弥陀寺、大徳寺の総見院、妙心寺の玉鳳院にもあります。そして、有名な江戸時代の大泥棒・石川五右衛門の墓も大雲院にあるんです。
アクセス
住所:京都市東山区祇園町南側594-1
京阪電車:祇園四条駅から徒歩約13分
阪急電車:四条河原町駅から徒歩約15分
市バス:祇園から徒歩約8分
大雲院ですが、通常は非公開の寺院です。
特別公開されることはありますが、毎年公開されるとは限らないので特別拝観情報を要チェックです!
京都を訪れた時に特別拝観中ではなくても、独特な形をした銅閣は、駐車場や周りの小径から見ることができます。八坂神社から高台寺や清水寺へと歩くとちゅうにありますので、銅閣の姿だけでもチラッと見てみてはいかがでしょうか?
もちろん、チャンスがあればぜひご参拝してみてくださいね。
それでは、また。