アフロ仏「五劫思惟阿弥陀仏」に会える黒谷金戒光明寺の見どころ

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京都で“くろ谷さん”と親しまれている浄土宗大本・山金戒光明寺は、春の桜、秋の紅葉が美しい有名スポットです。

今日は、京都の黒谷金戒光明寺の見どころをご紹介します。

全国的にも珍しくファンも多い五劫思惟阿弥陀仏にも会える寺院ですよ!

目次

金戒光明寺

金戒光明寺の読み方は、「こんかいこうみょうじ」です。

金戒光明寺は、平安時代末期に法然上人によって建てられた草庵が起源とされています。

創建当初は、念仏道場でしたが、上人没後に堂宇が整えられ「紫雲山光明寺」に改められました。

その後、南北朝時代に後光厳天皇がこの地で非常に尊い戒を授かったことから、金戒(金剛のように尊い宝の戒)、「金戒光明寺」と呼ばれるようになったそうです。

「金戒」は、「金剛宝戒(こんごうほうかい)」という言葉が由来だそうです。

金戒光明寺の見どころ

金戒光明寺は、境内に18の塔頭寺院があります。

そして、「御影堂(みえいどう)」、「大方丈(おおほうじょう)」、「阿弥陀堂」がその中心あります。

山門

正門にあたる高麗門は、城構えと呼ばれる城郭風の造りとなっています。

高麗門を抜けると見えてくるのが山門です。

山門は、江戸時代末期に建立され、高さ約23メートルあります。

楼上からは京都市街を一望でき、天気の良い日には大阪平野まで眺めることが出来るそうです。

新選組発祥の地、会津藩士の墓地


金戒光明寺は、浄土宗大本山知恩院とともに、江戸幕府が要衝として、城郭構造に改めたお寺で、幕末には会津藩がここを本拠として京都守護職本陣を置いていました。金戒光明寺は、新選組発祥の地でもあるのです。金戒光明寺の山門から、会津藩の藩士たちも洛中の警戒にあたったと言います。

境内北側にある塔頭・西雲院には会津藩士の墓地があります。

会津墓地へは、蓮池・兜之池にかかる極楽橋を渡って、階段を上にのぼります。

五劫思惟阿弥陀仏

五劫思惟阿弥陀仏は、その姿から「アフロ仏」とも呼ばれ人気となっています。

大きく膨れ上がった螺髪(らはつ)が、頭を覆っているユーモラスな姿が特徴的です。

五劫の間ただひたすら長い長い間思惟し、修行を重ねた結果、髪の毛が伸びきって膨れ上がった様子を表したものと言われています。

金戒光明寺の五劫思惟阿弥陀仏は、石で彫刻された石仏で、江戸時代中頃に制作されたものと考えられています。


五劫とは、時の長さを表現していて、一劫というのが「四十里立方(約160km)の岩に天女が3年に一度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの時間」のことだそうで、五劫というと、一劫の5倍!!、途方もないほど長い時間を指していることが分かります。

気の遠くなるような長い時間、思惟をこらし修行をされ、髪の毛が伸びた頭となられた五劫思惟阿弥陀仏ですが、全国でも16体ほどしかみられない珍しい石仏です。

参拝の際は、ぜひお参りしてみて下さい。

五劫思惟阿弥陀仏は、会津墓地に向かう途中にあります。
ただし、周辺は墓地となっていますので、ご迷惑とならないようお気を付けください。

御影堂・大方丈

御影堂は、諸堂宇の中で最も古い建物です。

祭壇の右側には、奈良時代の学者・吉備真備ゆかりの千手観音「吉備観音」が祀られていて、洛陽三十三所観音霊場のひとつとなっています。

大方丈と、その奥にある「紫雲の庭」は通常非公開となっていて、春秋の特別公開時にのみ拝観できます。

大方丈は、襖の開け閉めで数が変化して見える「虎の襖絵」が有名です。

花手水

このところ人気の花手水、いろんな神社仏閣で見ることができますが、ここ金戒光明寺の花手水はちょっとクスっと微笑ましさも加わった、かわいい花手水です。

アヒルに囲まれています!

かわいいアヒルの行列でお出迎え。

手水舎には、隙間なくお花が浮かんでいます。

ちなみに、上は横の地蔵菩薩様の前の亀の行列。

手水舎ではありませんが、かわいいです。

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