乙訓寺「牡丹の寺」聖徳太子・弘法大師ゆかりの寺院

寺院

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京都府長岡京市にある「乙訓寺(おとくにでら)」は、「今里の弘法さん」や「牡丹の寺」とも呼ばれ親しまれているお寺です。

今日は、京都長岡京の乙訓寺をご紹介します。

京都長岡京・乙訓寺

乙訓寺は、京都の長岡京市にある真言宗のお寺です。

乙訓寺がある長岡京市周辺一帯のことを乙訓地方と呼びます。まずは、乙訓地方の歴史について解説します。

乙訓の歴史

乙訓地方は、向日市、長岡京市、大山崎町の二市一町からなっています。

この乙訓という名前の由来は、古事記や日本書紀に記されています。

それによると、京都南部の「山城国(やましろのくに)」にあった「葛野郡(かどのぐん)」から独立した新しい郡をつくるときに、葛野郡を「兄国」とし、新しい郡を「弟国(おとくに)」と呼んだのが始まりだとされています。

乙訓地方は、784年に桓武天皇が「長岡京」に遷都し、10年間にわたって都が置かれた地でもあります。

乙訓寺の歴史

乙訓寺は、推古天皇の勅命によって聖徳太子が創建したと伝えられ、乙訓地方では最も古い寺院だと考えられています。

「日本書紀」には、507年に即位した第26代天皇「継体(けいたい)天皇」は、518年に都を弟国に移したという記述がありまります。

このとき弟国宮が築かれたのが、現在の乙訓寺がある一帯だと推測されています。そのため乙訓寺は、継体天皇が築いた弟国宮の宮跡という説もあります。

811年には、弘法大師空海が乙訓寺の別当に任ぜられました。別当とは、祭祀の主催・僧侶達の長のことをいいます。

空海が別当の命を受けた翌年の812年には、天台宗の開祖「最澄」が乙訓寺を訪れ、空海と密教について論を交わしたそうです。

弘法大師にゆかりが深いことから、乙訓寺は「今里の弘法さん」とも呼ばれています。

乙訓寺の牡丹

乙訓寺の境内には、牡丹が2千株余りあり「牡丹の寺」とも呼ばれています。
  

もともと乙訓寺は、松の並木道の美しさで有名だったのですが、1934年の台風によってほとんどの木々が損害を受けてしまいました。


その状況を見かねた真言宗豊山派の総本山「長谷寺(はせでら)」の第68代住職は、愛育していた牡丹のうち2株を乙訓寺に寄進したと言います。


その2株だった牡丹が、現在では2,000株まで増え美しく咲く牡丹の花が訪れる参拝者を癒しているのです。

乙訓寺牡丹の見ごろ

牡丹の見頃は、例年4月下旬から5月上旬で、満開はゴールデンウィーク前半です。

牡丹の開花状況に合わせて「ぼたん祭」も開催されますので、お出かけ前にチェックしてみてください。

アクセス

阪急長岡天神駅より徒歩20分ほどとなります。

歩くと結構かかりますが、長岡天満宮の参拝もあわせて行ってみてはいかがでしょう。

長岡京市にある乙訓寺は、聖徳太子や弘法大師ともゆかりがある由緒正しき寺院です。

現在は、境内に美しい牡丹の花が咲く寺院として知られ、4月下旬から5月上旬にかけては多くの参拝者で賑わいをみせます。京都市内ではありませんが、ぜひ乙訓寺にも足をのばして乙訓の歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

それでは、また。