「中宮寺」世界三大微笑のひとつ「国宝・木造菩薩半跏像」の微笑みに魅了される

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法隆寺に隣接して、尼寺である中宮寺があります。

国宝にもなっている「木造菩薩半跏像(もくぞうぼさつはんかぞう)」が有名で、この「木造菩薩半跏像」を一目みたいと中宮寺を訪れる方が多くいます。

今回は、奈良の中宮寺の歴史や「木造菩薩半跏像」などについて、お届けします。

目次

中宮寺(ちゅうぐうじ)

中宮寺(ちゅうぐうじ)は、別名「斑鳩尼寺」また「法興尼寺」とも呼ばれています。

奈良県生駒郡斑鳩町の「法隆寺(ほうりゅうじ)」の「夢殿(ゆめどの)」がある東院の東に隣接しているので、法隆寺を訪れた際は是非一緒に拝観して欲しいお寺です。

「大和三門跡尼寺」(法華寺、円照寺、中宮寺)のひとつに数えられ、中でも最も創建が古い尼寺として知られています。

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中宮寺の歴史

中宮寺は、聖徳太子が、母の穴穂部間人皇后(あなほべのはしひと)のために、宮を改めて寺としたのが始まりと伝えられています。

そのため、聖徳太子建立七ヵ寺のひとつとして数えられています。

また、これとは別に、聖徳太子の母である穴穂部間人皇后自身が創建したという伝承もあります。

創建当初は、現在の場所より400mほど東にあったといわれており、その跡地が現在も国の史跡に指定されています。

創建当初から尼寺として計画されたものと思われ、大和三門跡尼寺として、飛鳥時代以来1400年に渡り尼門跡寺院の格式を守り続けています。

本尊・国宝「木造菩薩半跏像(もくぞうぼさつはんかぞう)」

中宮寺の菩薩半跏像は、「スフィンクス」「モナリザ」と並び、世界三大微笑のひとつと言われる美しい仏様です。

それでは、詳しく解説していきます。

半跏思惟像(はんかしゆいぞう・はんかしいぞう)とは

半跏思惟像は、インドや中国、朝鮮半島に多数残ています。

日本で流行するのは、飛鳥・白鳳文化のころで、奈良時代になると急速に衰退したされ、七世紀を中心に流行した大変古代的な仏像の姿を見ることができるとも言えるのです。

中宮寺の国宝・木造菩薩半跏思惟像

中宮時のご本尊である国宝・木造菩薩半跏像は、材質はクスノキ、像高132.0cm(左脚を除く坐高は87.0cm)です。

寺に伝わる伝承では、「如意輪観音(にょいりんかんのん)」と呼ばれていたとされています。

当初は弥勒菩薩像として造立された可能性が高いとされています。

また、国宝指定の際の呼び方は「木造菩薩半跏像」となっています。

全身が艶のある黒っぽい色になっていますが、足の裏などにわずかに当初は彩色され、別製の装身具を付けていたと思われる痕跡が残っています。

経年で彩色が失われ、現在の色になったようです。この落ち着いた色合いが、やさしい微笑みにあっているような気がするので、当初のお姿が想像できません。

文献上の始めて登場するのは、建治元年の『太子曼荼羅講式』で、同書に「本尊救世観音」とあるのが本像にあたると考えられていいます。それ以前の伝来は不明となっています。

制作時期については、飛鳥、白鳳の諸説があるようです。少し細かく見ると、中宮寺の像には、飛鳥期の仏像の様式と、白鳳期の仏像の様式が混在するのだそうです。

頬にそっと指をあてて思惟している姿と、浮かべる微笑みが美しく、特にファンの多い仏像で、この微笑みを見ようと何度も訪れる方も多いようです。

本尊・国宝木造半跏思惟像(如意輪観世音菩薩)を守るための本堂の全面修理が完了しています。

この時、国宝木造半跏思惟像には何も処理をしていないとのことですが、何度も目にしている参拝者は、国宝木造半跏思惟像の雰囲気が違って見え、磨き上げられたようだとおっしゃっていました。

本堂の壁の和紙は、長年のロウソクなどのススにより、かなり色が付着していたようで、張り替えられた白の壁を背にしている効果なのだそうです。

本堂内は、撮影禁止のため、写真撮影はできません。お姿は公式ホームページをご覧ください。


ぜひ参拝に行って、直にその微笑みに目にしてください。

魅了されること間違いなしです!

【中宮寺】アクセス基本情報

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