大阪市中央区、上町台地に高津宮(こうづぐう)が鎮座しています。
坂の上に鎮座しているため、縁切り坂・縁結び坂があり知る人ぞ知るパワースポットとなっています。
今回は、いくつかの落語の演目の舞台にもなっている大阪の高津宮をご紹介します。
高津宮の歴史
高津宮の創建は866年とされています。
清和天皇の勅命によって古代の都であった「難波高津宮」の遺跡を探索し、その宮跡だったとされた場所に社殿を造営したのが始まりです。
宮跡だとされたという曖昧な表現になっていますが、実は宮跡は明確にはなっていません。
大阪城の場所や、第八連隊兵営跡や、坐摩神社行宮あたりなどいくつか説があり、有力な説が「難波宮旧跡」を中心とする馬場町あたりとなっています。
高津宮はその後、豊臣秀吉による大阪城築城の際に、現在地「比売古曽神社境内」に遷座しました。
高津神社を舞台とした落語
落語〝高津の富〟は、ここ神津神社が舞台となっています。
淀屋橋のみなみ大川町にあった宿屋に「鳥取の大金持ちだ」と大ホラ吹きまいて宿賃を踏み倒そうとする男がやってくる。大金持ちと言った手前、宿のおやじにすすめられた富くじを断り切れず、なけなしの一分でくじを買ったところ、その富くじが千両当ったからアラ大変・・・
落語:高津の富
高津宮では、これを再現した富くじを“とんど祭”で復活させています。
手札と対になった木札をキリで突いて当たりを選ぶのだそうですよ。
他にも、落語〝高倉狐〟の舞台は、高津宮の高倉稲荷境内となっています。
高津宮の境内
鳥居は、坂道の途中にあります。
鳥居をくぐると、真っすぐに参道が伸びています。
両側に公園があったり、とても落ち着く場所です。
周囲よりも一際高い場所にあるため、どの方向からも石段を登ることになります。
階段を上がると、正面に拝殿があります。
本殿の左手には、比売古曽神社が鎮座しています。
落語〝高倉狐〟の舞台となっている高倉稲荷神社です。
その隣には、安井稲荷神社が鎮座しています。
神輿庫は、宝暦年間(1751~1764年)から戦火をまぬがれて今に至っています。
「縁切り坂」「縁結び坂」
高津宮の本殿への坂道には、縁切りや縁結びのパワースポットとして、ひそかに話題になっている石段があります。
明治初期のころには、北西の角に坂道があり、その坂道が「三曲がり半」であったため、「三曲がり半」から「三下り半」を連想、「縁切り坂」と呼ばれるようになったのだそうです。
明治の後期には、西側の斜面に2本の坂道がつくられ、下から見ると二等辺三角形になっていて「相合坂」と名付けられました。
この階段は左右に分かれていますが、途中で合流しています。
そのため、男女それぞれが、左右の階段に分かれて上り、合流地点でちょうど合えれば、二人の相性は良いと言うことのようで「縁結び坂」とも呼ばれています。
【高津宮】アクセス基本情報
【高津宮】基本情報
住所:大阪市中央区高津1-1-29
電話:0667621122
HP:http://www.kouzu.or.jp/
アクセス:地下鉄谷町線・千日前線「谷町9丁目駅」下車、徒歩約4分
高津宮の境内や高津公園には、ソメイヨシノなど約100本の桜が植えられています。
毎年3月下旬から4月上旬には高津宮で「桜まつり」が催されて、多くの花見客で賑わいますよ。