神社に行くと、奉納所にたくさん掛けられている「絵馬」。
願いごとを書いて神様に届ける…というのは誰もが知っているけれど、 「なんで“馬”なの?」「どうして木の板なの?」と疑問に思ったことはありませんか?
実は絵馬のルーツは、かつて神様に“本物の馬”を奉納していた時代にさかのぼります。
この記事では、そんな絵馬の起源から、今の形になるまでの歴史、発祥とされる神社や考古学的な発見まで、わかりやすく解説します。
知れば知るほど、絵馬を掛けるときの気持ちが変わるかもしれませんよ。
絵馬とは?現代の意味と役割
神社やお寺に参拝した際、木の板に願いごとを書いて奉納する「絵馬」。
今ではごく一般的な参拝のときの祈願方法のひとつとして定着しています。
多くの絵馬は、片面に馬や干支などの絵が描かれ、もう片面に願いごとを自分で書く形式で、受験合格や恋愛成就、家内安全、病気平癒など、祈願の内容は人それぞれです。
なぜ“馬”?神様に本物の馬を奉納していた時代
では、なぜ「絵馬」なのでしょうか?
古代日本では、神様への願掛けや感謝のしるしとして、生きた馬を奉納する風習がありました。
特に、雨乞いや五穀豊穣、国家安泰などの重要な祈願時には、白馬や黒馬などの「神馬(しんめ)」が神に捧げられていたといわれています。
馬は「神様の乗り物」と考えられ、神聖な動物として扱われていたため、神前に奉納するのにふさわしい存在とされたのです。
しかし、しだいに馬は高価で手に入りにくくなっていき、 やがて、生きた馬の代わりとして、「馬の絵」を描いた板を奉納する形が広まっていきました。
これが現在の「絵馬」のはじまりとされています。
今も“神馬”がいる神社も
かつての名残として、今でも生きた神馬がいる神社もあります。
- 伊勢神宮(三重県):神馬舎に白馬の神馬がいる。祭典などに登場することも。
- 神田明神(東京都):「神幸号(みゆきごう)」というポニーが神馬として奉仕。愛称は「あかりちゃん」。
- 上賀茂神社(京都府):「神山号」という元競走馬の神馬が在籍し、週末や行事の際に神馬舎で会えることも。
馬を“祈りの象徴”として扱う文化は、現代にも受け継がれています。
絵馬はどうして“板”になった?形の変化と広がり
もともと生きた馬だったのが、馬の絵を描いた板に変化していった絵馬ですが、時代が進むとその表現はさらに多様化し、馬だけでなく、願いごとに応じた絵(たとえば病気平癒なら病人の姿、航海安全なら船など)を描いたものも登場しました。
そして江戸時代に入ると、小さな木の板に簡略化された絵を描いた「現在の絵馬」のスタイルが定着しました。
今ではアニメキャラの絵馬や、企業コラボの絵馬まで登場し、形もどんどん広がっています。
ユニークな絵馬がある神社
実際にユニークな絵馬を扱う神社をご紹介しましょう。
まずは、京都・下鴨神社の摂社、河合神社。
女性守護の神社として知られ、人気なのが「鏡絵馬」。手鏡の形をした絵馬に描かれた顔を、自分の顔に見立ててメイクアップし、裏面に願いごとを書くというユニークなスタイルの絵馬になっています。
兵庫県神戸市の長田神社、こちらにはなんと「エイの絵馬」があります。
痔の病気平癒を祈る参拝者がこの絵馬を奉納します。「痔病」というデリケートな願い事のため、絵馬には「年齢・干支・性別」のみを書き、名前は書かないのも特徴的です。
金運アップのご利益で知られる京都市の御金神社(みかねじんじゃ)は、境内の御神木「大銀杏」にちなんだ黄金の銀杏型絵馬が人気。
鳥居も黄金色で、国内外から参拝者が絶えない人気ぶりの御金神社の境内には、ものすごい数の絵馬が奉納されています。
絵馬の発祥はどこ?信仰・考古学・文献の3つの視点
絵馬の起源は奈良時代、あるいはそれ以前の飛鳥時代にまでさかのぼる可能性があります。
また、江戸時代には絵馬文化が大きく発展し、「絵馬師」という絵馬を専門に描く職業も誕生するなど、文化として成熟していきました。
絵馬の発祥については、ひとつの明確な答えがあるわけではありません。
神話や伝承の中で伝えられてきたものもあれば、発掘調査によって見つかった絵馬の原型、そして古文書に残された記述など、さまざまな視点からその起源をたどることができます。
ここでは、信仰・考古学・文献の3つの側面から「絵馬のはじまり」に迫ってみましょう。
【信仰の発祥地】貴船神社(京都)
京都の貴船神社は、「絵馬発祥の社」として広く知られています。
社殿前には白馬・黒馬の彫刻と「絵馬発祥の地 記念碑」があり、 古くから雨乞いや晴祈願の際に、馬を奉納していたという伝承が残ります。
この風習が「馬の絵を板に描いて奉納する」文化のルーツとなったと言われています。
▼貴船神社に着いて詳しくはこちら


【考古学的発見】飛鳥~奈良時代の遺跡から
考古学的には、以下の遺跡から古代の絵馬と見られる木製品が発掘されています:
鹿田遺跡(岡山市):馬を引く猿の姿や牛が描かれた絵馬が見つかり、国内最古の牛絵馬とも言われています。難波宮跡(大阪市):1999年の調査で、飛鳥時代の絵馬が発見されました。
伊場遺跡(静岡県浜松市):1972年に奈良時代の絵馬が出土。
【文献的記録】「風土記」や「本朝文粋」にも
- 『常陸国風土記』(奈良時代)や『続日本記』には、生馬の奉納に関する記述があります。
- 『本朝文粋』(1012年)には「絵馬」という言葉が登場し、当時すでに文化として定着していたことが伺えます。
これらの記録や出土品からもわかるように、絵馬文化は日本各地で独自に発展してきたと考えられています。
まとめ|絵馬は“祈りのかたち”として今も進化している
絵馬のはじまりは、本物の馬を奉納するという“神様への本気の願い”でした。 それが板に、そして絵になり、今では多種多様な絵馬が日本中の神社に並びます。
形は変われど、そこに込められているのは、昔も今も変わらない「祈りの心」。
絵馬の歴史を知ることで、次に絵馬を奉納するとき、あなたの願いも神様に届きやすくなるかもしれません。